LOGINお昼を食べてから店内に戻ると、午前中よりわずかにだけど、お客様の来店数が増加していた。
そして、接客中に店長から指摘を受けたこと……
それは笑顔だった。
「加藤、笑顔が固い。それじゃあ、せっかく良い商品を売ってるのに、お客さんが逃げてくぞ」「はい……。すみません」
自分では笑っているつもりなんだけど、上手く笑えていないみたいで。店長や先輩から何度も何度も指摘されてしまった。
どうしても笑顔が引きつってしまう。
「……はぁ」 周りの先輩たちは、今日が初めてなんだからそれにしては上出来よと言ってはくれるのだけれど。わたしは全然納得していない。
たった今も、ここに置いてあるサイズしかもうないですか、と尋ねてきたお客様を対応していたんだけど…… 「さっきのお客様があなたの態度が気に入らなかったみたいだから、気を付けてよね」 こう先輩に注意を受けてしまった。はぁ……なんだか上手くいかないことばかりだ。
「田畑さんがウチで一番顧客が多いんだ。彼女を見習うように」 店長にこう言われ、わたしのお手本はあんなに完璧に接客をこなす幸さんになった。 幸さんを見習え、幸さんのように……って言われても。あんなに輝かしい笑顔を振りまきながら、お客様に対応するなんて、わたしには至難の業かも。
接客業に就いたのだから、それは乗り越えなければならない関門なのだけれど……わたしには、自分にはそれが出来るとは到底思えない。
出来たとしてもいつになることやら。でも頑張らないと!と気合を入れるために、頬をパンパンと叩いた。
「全くお前も、いつまで経っても無愛想で仕方のない奴だな。それだと新人の加藤のこと何も言えないぞ」「はい、以後気を付けます」
「はぁ……これで何度目だよ。副店長なんだから、もっとしっかりしてくれよ。従業員に示しが付かん」
笑顔が固い、愛想がない……そう指摘をされていたのは、わたしだけではなかった。私以外にもう一人……仲森副店長だ。
確かに他の従業員たちに鬼上司と言われるほど、豹変してしまった彼、仲森さん。久しぶりに会った彼には昔の面影は全くなく、氷のような冷たい目つき。
仲森さんには“決して笑顔を見せない鬼上司”というレッテルが貼られていた。わたしも彼も決してあの頃のような笑顔を見せない。
少しお客様の入りが激しくなってきた頃、一人の老婦人が店内を困り顔でウロウロしていた。そして、手にはウチの広告が握られていて。
「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」「あー、これ、広告に載ってるこのワンピースが欲しいのだけれど……」
「このワンピースですね。こちらにありますよ」
老婦人をそのワンピースのところまで案内していく。 このワンピースは目玉商品ではなく、広告の隅に小さく載っていたのに、老婦人の持っている広告にはしっかりとそれに丸印が付いていた。わたし自身、結構気に入ってるものだったから、見つけてくれてすごく嬉しかった。
「こちらになります。色はベージュ、赤、黒とございますが、どれになさいましょう?」「そうねぇ……孫は赤が好きだから赤にしようかしら」
「お孫さんにプレゼントですか?」
「えぇ、今度、孫の誕生日なので」
にっこりと柔らかく微笑む老婦人の姿から、お孫さん思いの優しいおばあちゃんだと思った。確かにこのワンピースは、ヤング世代をターゲットにした商品。
ウチは20代~30代をターゲットにした商品が多いから、こういう商品は珍しい。
「お孫さんのサイズは分かりますか?」「えっと……そうねぇ。背丈はちょうど、あなたぐらいかしら……」
「わたしくらいでしたら、一番小さいこのSサイズがちょうどいいかもしれませんね。ですが……」
おばあちゃんは、「ん?」とこちらに目を向けた。 「お孫さんは今日いらしてないんですよね?」「そうですね、孫は高校生でまだ学校なんですよ」
お孫さんが高校生……!?そんなに大きなお孫さんがいらっしゃったなんて……もっと若いおばあちゃんかと思った……。
「本当は試着していただいた方がいいのですが……このまま購入していかれます?」「やっぱり試着した方がいいですかね?」
「そうですね……ウチは比較的サイズが大きめで、Sサイズでも少し大きいと感じられる方もいらっしゃるので……」
「そうなんですか……。どうしましょう……」
おばあちゃんは、しばらく「うーん」と考えていた。 「じゃあ、今度の休みに孫を連れてきますね」「今度の休み、ですか……。このワンピースは在庫限りですので、もしかしたらその頃には売り切れてしまうかもしれません」
「そんな……」
「ですので、取り置きが出来ますが、そうしておきましょうか?」
すると、落ち込んでいたおばあちゃんの顔がぱぁっと明るくなって。 「はい!そうしておいてください」「では、お名前をお伺いしてもよろしいですか?」
「深田と言います」
「深田様ですね。それでは、こちらのワンピースのSサイズ、取り置きしておきます」
レジの横に置いてあるメモ用紙にお客様の名前を書き込んだ。 「では、また。孫と一緒に来ます」「はい。お待ちしておりますね」
それからおばあちゃんは「ありがとう」と言って、店を出ていった。 接客で初めてもらった「ありがとう」は、お孫さん思いの優しいおばあちゃんからだった。ありがとう……なんて随分言ってもらったことない。
感謝の気持ちを言われるってこんなにも心を温かくするものだったんだね。
忘れていた感情が、一つ蘇った。 「さっきのおばあちゃん、すごく喜んでいたわね」 化粧室から戻り、ポーチを鞄にしまおうと裏にいた時のことだった。突然、話しかけてきたのは、先程までウチを贔屓にしてくれているお客様と楽しそうにお話をしていた幸さんだった。
「あっ、はい。おばあちゃん、またお孫さんを連れて来てくれるそうです」「そう。よかったわね。でも、笑顔が足りなかったんじゃない?」
「え、あっ……」
幸さんに言われて、またかと思った。あの時は、今度こそ笑顔が出来てると思ったんだけど、やっぱり出来てなかったかぁ……
それから数日後に、STAR-MIXの洋服が届けられた。「麻菜ちゃんの担当はこれね」幸さんに言われ渡されたのは、シャツにフリルのスカートという組み合わせのもの。本日からわたしが出したもう一つの提案も実際に行われることになっていたのだ。わたしたち店員がお店の服を着て、接客を行うというスタイルを。それを手に取り、何とも言えない気持ちになる。「あの……幸さん。これ、わたしには似合わないと思うんですけど」普段スカートなんて履かないわたしには、着こなせないこと間違いなしだ。「そんなことないわよ。麻菜ちゃんにはこれが似合うと思って取っておいたの」にこにこと笑いながら言う幸さん。ちゃっかり自分は大人の女性が着こなすようなパンツを選んでいるくせに。確かに似合ってるから何一つ文句はないのだけれど。「それにこれ、若い子がターゲットじゃないですか。わたしには無理です」「何言ってるの!麻菜ちゃんだって十分若いじゃない」バシッと腕を叩かれ、スタッフルームに無理やり入れられる。「男性どもはもう着替えたから入ってくる心配はないと思うけど、一応鍵閉めといた方がいいわよ」外から幸さんの声が聞こえ、念のため鍵を閉めた。そして、もう一度渡された服を見る。「………」本当にわたしがこれを着るのか。あまり乗り気がしないまま、わたしは渋々その服に着替えた。「わーっ!秀平、今ダメだって!」幸さんの賑やかな声が聞こえたと思ったら、ガチャッとスタッフルームの扉が開いた。そして、入ってきた彼とばっちり目が合ってしまう。「……&
「STAR☆日本店」を潰されないために、従業員全員が一丸となって必死に働いていた。常にスタッフルームはピリピリとしている。今年中に何としてでも売り上げを伸ばさないと。あと8ヶ月もないから、もっと頑張らないと。そんな気迫が伝わってくる。そして、あたしがした“ある提案”は、ジョンによって順調に進められていた。その結果が入ってきたのは、つい今朝のこと。「麻菜!聞いて喜べ!」「どうしたの?ジョン」いつもテンションの高いジョンだけれど、今朝は一段と高い。ジョンは興奮のあまりか、わたしの腕をペシペシ叩いてくる。「ちょっと、ジョン。痛いんだけど、それ、やめてくれない?」「あははっ、ごめんごめん!それよりビッグニュースがあるんだ!」そして、あまりにも声を張り上げるものだから、周りの人が迷惑そうにこちらを見ていく。ここは、駅のホーム。本当、いろんな意味でのトラブルメーカーかもしれない。「ジョン、ここはホームよ。もう少し静かにしなさい」「これが静かにせずにはいられないんだって!」「だから、静かにしなさいって言ってるでしょ!」「Ouch!!」思い切りジョンの足を踏むと、顔をしかめながら叫んだ。普段、日本語でやり取りしてるから、久しぶりに聞いた。ジョンがとっさに発した英語。しかも久しぶりの英語が「Ouch」だなんて。「音量下げて喋るから、もう踏まないでよ」確かに静かにしなさいとは言ったけど……そこまで声のトーン下げられると、ほとんど聞こえない。よく耳を澄まさないと聞こえないくらいの音量で、ジョンは話を進めた。「だからね、ようやく許可が下
そして、次に幸さん。「まずウチの店はサービス精神に欠けてると思うんです」「サービス精神?」「はい。従業員のお客様に対する態度もそうですが、お直しのサービスが充実していないようにも思えます」幸さんが言ったのは、洋服のお直しのサービスのこと。サイズが合わなかった時に、洋服を直すサービスのことなんだけど。確かにこの店のお直しのサービスはなかなか利用されていないような気も……「私もそれは思っていたんだ」店長も幸さんに同意する。「これからはお直しのサービスも利用して頂けるように、配慮していこう」少しずつ店の問題点が見えてきた。社長からの忠告は、この店にやる気をもたらしてくれたのかもしれない。そう思った。そして、ジョンの番に。「そうですね……。アメリカ本社と比べてみて感じたのですが」ジョンは少し背筋を伸ばして、語りだした。アメリカ本店と日本店の違いを……「確かにこちらに置いてある商品ですが、どれもアメリカでは売れたものです」ここ、日本店ではアメリカで売れていた商品が、よく並べられていた。つまりアメリカ人好みのファッションだということ。「しかし、日本とアメリカでは違います。アメリカで売れたものが、必ずしも日本で売れるとは限らないと思うんです」ジョンの言うとおりだと思った。ここに来てから、それはわたしも感じていたこと。ここに置いてある商品は日本人の好みと合わない、ということだ。「もちろんこの店にあるものすべて取り換えろとは言いません」ジョンはちらっとわたしたちを見回した。
わたしとジョンがこの「STAR☆日本店」に助っ人としてやって来て、仕事にも慣れてきた頃だった。店内がざわついたのは。ある人物の登場によって、和んでいた空気が一気に凍りつく。「て、店長!てんちょーっ!!」バタバタと慌てた様子で、店長を呼びに来たのは幸さん。そんなに慌てて一体……「どうした?田端、そんなに慌てて」「店長!そんなに呑気にしてる場合じゃありませんって!」「は、はぁ?」「だから!社長が!社長が血相を変えて店の前に!!」「はぁ!?社長が!?」社長と言うワードに突然顔色を変えた店長は、急いで飛び出していった。向かう先は、社長がいる店の前に。でも、一体どうしたんだろう。社長がわざわざこんなところに?何かあったのかな……妙な胸騒ぎがしたのはわたしだけではなかったらしく、その場にいた全員がこっそりと店長の後をつけた。「社長!わざわざこんなところに……一体何が?」「いやー、突然悪かったね、川端くん」「あ、いえ……」社長の声は穏やかなのだけれど、表情が硬い。これから良くないことが待ち受けていそうだ。固唾を呑んで、社長の次の言葉を待った。「君に忠告しておこう」「はい?」「もし今年中に成果を上げられないようなら、この店は畳んでもらう」「えっ……」え?どういうこと……?今年中に成果を上げないと、この店は潰れる……?この店……STAR☆日本店が
「高校の時、わたしと仲森さん……付き合っていたでしょ?」「えぇ……麻菜、今は彼のこと仲森さんって呼んでるのね」「まあ……今は恋人じゃないし。上司と部下っていう関係だから」こうして線引きをしなければ……これ以上、わたしが彼の中に踏み込んではいけない。彼とわたしは上司と部下―――こう何度も言い聞かせてきた。「仲森さんが事故に遭ったことあったでしょ?その事故でわたしたちが気まずくなったことも」「あったわね……でも、あれは……」「その時、たまたま両親からアメリカに帰ろうと思うんだけどっていう話が来たから、わたしはその話に乗った」アメリカ人の父と日本人の母が出会ったのは、アメリカのニューヨークだった。二人は若い頃アメリカに住んでいて、思い出の一杯詰まったアメリカに帰りたくなったらしい。わたしはちょうどいい機会だと思って、一緒にアメリカに行くことにした。彼を忘れるために、彼との関係を断ち切るにはタイミングのいい話だったから。「彼にアメリカにいるって知られたくなかったから、誰にも言わずに日本を発ったの」「そうだったの……」「春菜、今まで黙っていて本当にごめんなさい」深く頭を下げて謝った。親友なのに、何の相談もしないで勝手にいなくなって……「もうやめてよ、麻菜。あの時は本当にどうしてって何度も思ったよ」「うん……」「でも、麻菜が姿を消した理由は分かってた。それに麻菜は頑固だから、一度決めたら自分の意志はつき通すしね」わたしの性格など十分理解していた春菜には、全てお見通しのようだ
「二人は付き合ってるわけじゃないんだよね?」「それは、あり得ない」「そっかぁ。でも、麻菜が僕のプロポーズを断り続けてるのって、少なくとも仲森さんが関わっている。違う?」いつもは軽いジョンだけれど、たまに真剣な顔して告白してくることがあった。わたしはどうしても誰とも付き合う気にはなれなくて、ずっと断っていたけれど。それに仲森さんが関わっているかというと……「それは、違う」わたしは嘘を吐く。封印したあの思いを再び思い出すことがないように……「麻菜って本当に嘘吐きだね。でも、僕は諦めないから」「え……諦めないって……」「仲森さんと何かあったとしても、必ず麻菜を僕のものにしてみせるってこと」「そう……。まあ、頑張って」ここまで真剣な顔して言われちゃうと、どう反応したらいいのか分からなくなる。いつもみたいに軽く言われるほうがいいんだけど。それから何故か気まずくなって、会社まで無言になってしまった。「あのさ、麻菜……」会社に着いた時、ジョンが突然立ち止まる。ちょうどジョンが声をかけたのと同じタイミングで、どこかで聞いたような声が聞こえてきた。「麻菜?」「え……?」声をかけてきたのは、スラッと背の高い美人の女性が立っていた。あれ……この人どこかで……「もしかして春菜?春菜……だよね?」「やっぱり麻菜だったんだ!久しぶりじゃない!」「うん。久しぶりだね